16話「幻影は背後に」

16話 幻影は背後に

16話「幻影は背後に」

< 15話「なくした思い出と、消えない問い」

妻が行った先が見えなくて

見逃していたこと……?

そう

僕は、独りになってしまった。妻に先立たれてね

広い部屋に、たったひとり取り残された自分……

何もかもを失ってしまった

何も考えることができなくなってしまってね

生きてるとも言えない、「死んでない」そんな状態だったう

……鈴木さん……

夕方になると、どこからともなく聞こえるんだ

「あなた、ご飯の時間よ」……って

妻の声が、表情が、脳裏をよぎるんだ

本を読んでても

リビングでテレビを見てても

仕事なんかできるわけなかった

社員も心配してくれてたみたいだけど、覚えてない……

(それはそう、なる、よ、な……)

妻のことが頭から離れない

妻は、どこに行ってしまったんだろう

今、何をしてるかな

……

今、幸せかな?

…………

分からないんだ

ただそれだけが苦しくてね……

大切な人の面影を探して

家にいないなら、どこかにいるんじゃないか

そう思ったら、いても立ってもいられなくなった

旅に出たんだ

た、旅……?

とにかく、知りたくて。妻が、どこに行ったのか

最初に足を運んだのは、僕らが、10年ぶりに再会したお店……

鈴木さんが学生の時の……

そう。長い時間が経ってたけど、まだあってね

僕は、引き寄せられるようにお店に入った

軽音の学生が、1人、また1人とやってくる

そんな学生とね、店員が話をしてて……

「新しいペダルに買い換えようと、思ってて……」

「フットペダルですね。それだと……」

そうだったなぁ……僕と妻も、こんな風に再会したっけ

あの時は、嬉しかった。こんなドラマみたいなこと、本当にあるんだ……って

けど

……彼女はいない

店内を歩き回って、彼女の姿を探しもした

けど、当然、彼女はいない

ここにはいないんだ。僕は、無言でお店を後にした

………

気がつけば、新婚旅行で行った新潟の旅館にいた

妻と来た時と、なんら変わらない

あいかわらず、由緒正しい雰囲気の、上品な旅館でね

そこの温泉が好きで、妻は随分と入ってたな、なんて思い出しながら

しばらく、旅館の前で立ち尽くしていた

そんな時、ある女性が通りかかった

ハッとした

え?

長いつややかな黒髪、すっと伸びた背筋

えっ!?

思わず、目で追ってしまった

女性は、辺りを見回してから、旅館の軒下に立った

もしかして――

顔は見えないけれど……僕は、その女性から、目が離せなかった

「あの……何か?」

遠慮がちに、声をかけられた

……!

おどろいて我に返ると……

女性が眉をひそめて、こちらを伺っていた

僕があまりにも、じっと見ていたから不審に思ったんだろうね

その女性は、妻じゃなかった。……当然だけどね

それは……

その人は旦那さんを待ってたんだ

僕は……落胆と寂しさを胸に、旅館を後にした

………

……道中は、妻との思い出ばかり、よみがえって……

………

……鈴木さん?

……いや、ごめん。大丈夫、大丈夫

(……奥さんの話、思い出すだけでツラいはず……)

その後も行った先々を巡った。行きつけのお店や旅行先、どこかにいないかって

………思い出の場所を巡りつくした僕の足は、自然と、ある場所へ向かっていた――

……実家だった。妻の

奥さんの……っすか

……うん。   
葬式でも、ご両親には会ってたんだけどね

何度も入った玄関ではあったけど、この時はとても入れるような心じゃなかった

帰ろうとしたとき、お義母さんが呼び止めてくれてね

顔を見るなり、涙ぐみながら、抱きしめてくれた

本当は、実の娘が亡くなって、ツラいはずなのに

僕のことも、心配してくれてたんだ

………

僕は、肩を震わせた

家の中で、ポツポツと彼女の話をしたよ

「今日、いろいろな所を……巡ってきました」

「妻との、思い出の場所を……」

「ありがとうな。そんなキミで嬉しいよ。」

「けど……キミがそんな顔してちゃ、娘に怒られるぞ?」

「シャキっとしなさい!……ってね」

「ええ。あの世で……楽しく暮らしてるわ。きっと」

「あの娘なら、きっと――。きっと、向こうで幸せに暮らしてる」

「あ、りがとうございます。そう……ですかね」

あの世、か……。妻は本当に、幸せに暮らしてるのか……

そう思いたい。けれど……

やっぱり、僕にはわからなかった

あの世に行ってるのだろうか。それならいいけれど

いや、本当にそうなんだろうか……

(どこに行ってしまったのか……か……)

心のモヤモヤは、晴れなかった

すると、何気ないひとことが耳に入ってきた

「心配してたの。娘の後を追いやしないかって……」

そこで、僕は気がついたーー

盲点」に

え?

振り向いたそこに、伸びる影

その盲点は、源氏物語・夕顔の巻に書かれている

望月くん、知ってるかい?

夕顔の巻……ですか。……いえ、ちょっと思い当たりません

「死んでいった夕顔も、今日都を離れる空蝉も、それぞれ私の知らない世界に旅立った。自分の行方もまた、分からぬ秋の夕暮れだ」

それって……

そう。僕は、「妻の死」しか見ていなかった……

でも、盲点だった……。あらためて、気がついてしまったんだ!

そんな自分も死ぬんだ……ってことに!

!!

じ、自分も……

死ぬ……………

当たり前で、誰もが知ってることだけど……

でも、誰もが目をそらしている問題でもある

なるほど……トルストイと、一緒ですね

そう。そうなんだ

みんな、死を知ってはいる

けど、そこで考えているのは他人の死なんだ

自分が死ぬことを想像すると、どうだろう

先の見えないトンネルに、迷い込んだ気分になると思う

真っ暗闇の世界に入っていく不安に、耐えられない

たしかに……

先が、見えない……

だから、何かでごまかさないと生きていけないんだ

僕が、バンドに熱中したのも

仕事に心血そそいだのも

………

ま、待ってくださいよ鈴木さん!

いつか死ぬのはわかったし……それが怖くて、ごまかしながら生きてるのもわかりましたけど……

まさに、僕も山下くんと同じ気持ちだった……

この「死」の問題、どうしたらいいんだ?

僕は死んだらどうなるんだ?

この答えを求めて、僕は再び旅に出たんだ

(つづく)

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